- 唐詩 (1)
- 唐詩 (2)
- 唐詩 (3)
- 唐詩 (4)
- 唐詩 (5)
- 唐詩 (6)
- 唐詩 (7)
- 唐詩 (8)
- 唐詩 (9)
- 唐詩 (10)
- 唐詩 (11)
- 唐詩 (12)
- 唐詩 (13)
- 唐詩 (14)
- 唐詩 (15)
- 唐詩 (16)
- 唐詩 (17)
- 唐詩 (18)
- 唐詩 (19)
- 唐詩 (20)
- 唐詩 (21)
- 唐詩 (22)
- 唐詩 (23)
- 唐詩 (24)
- 唐詩 (25)
- 唐詩 (26)
- 唐詩 (27)
- 唐詩 (28)
- 唐詩 (29)
- 唐詩 (30)
- 唐詩 (31)
- 唐詩 (32)
- 唐詩 (33)
- 唐詩 (34)
- 唐詩 (35)
- 唐詩 (36)
- 唐詩 (37)
- 唐詩 (38)
- 唐詩 (39)
- 唐詩 (40)
- 唐詩 (41)
- 唐詩 (42)
- 唐詩 (43)
- 唐詩 (44)
- 唐詩 (45)
- 唐詩 (46)
- 唐詩 (47)
- 唐詩 (48)
- 唐詩 (49)
- 唐詩 (50)
- 唐詩 (51)
- 唐詩 (52)
- 唐詩 (53)
- 唐詩 (54)
- 唐詩 (55)
- 唐詩 (57)
- 唐詩 (58)
- 唐詩 (59)
- 唐詩 (60)
- 唐詩 (61)
- 唐詩 (62)
- 唐詩 (63)
- 唐詩 (64)
- 唐詩 (65)
- 唐詩 (66)
- 唐詩 (67)
- 唐詩 (68)
- 唐詩 (69)
- 唐詩 (70)
- 唐詩 (71)
- 唐詩 (72)
- 唐詩 (73)
- 唐詩 (74)
- 唐詩 (75)
- 唐詩 (76)
- 唐詩 (77)
- 唐詩 (78)
- 唐詩 (79)
- 唐詩 (80)
- 唐詩 (82)
- 唐詩 (83)
- 唐詩 (84)
- 唐詩 (85)
- 唐詩 (86)
- 唐詩 (87)
- 唐詩 (88)
- 唐詩 (89)
- 唐詩 (90)
- 唐詩 (91)
- 唐詩 (92)
- 唐詩 (93)
- 唐詩 (94)
- 唐詩 (95)
- 唐詩 (96)
- 唐詩 (97)
- 唐詩 (98)
- 唐詩 (99)
《唐詩三百首》是一部流傳很廣的唐詩選集。唐朝(618年~907年)二百八十九年間,是中國詩歌發(fā)展的黃金時(shí)代,云蒸霞蔚,名家輩出,唐詩數(shù)量多達(dá)五萬余首。
孫琴安《唐詩選本六百種提要·自序》指出,“唐詩選本經(jīng)大量散佚,至今尚存三百余種。當(dāng)中最流行而家傳戶曉的,要算《唐詩三百首》。”《唐詩三百首》選詩范圍相當(dāng)廣泛,收錄了77家詩,共311首,在數(shù)量上以杜甫詩最多,有38首、王維詩29首、李白詩27首、李商隱詩22首。它是中小學(xué)生接觸中國古典詩歌最好的入門書籍。
在文字從簡的《唐詩三百首》圖文本、畫冊本爭奇斗妍的今天,我卻仍以這一無圖而又詳解的本子獻(xiàn)給讀者,是否有些不合時(shí)宜呢?然而正如秦韜玉筆下那位“敢將十指夸針巧,不把雙眉斗畫長”的貧女一樣,“不合”者也自有其可以不合、有以自矜的理由。這倒不僅因?yàn)楸緯M獍娴姆答佇畔⒔o了我信心,更重要的是,當(dāng)前的閱讀傾向,使我深感,一種認(rèn)真而有新意的詳解本,實(shí)屬必須。
或許因?yàn)樵谔圃妼W(xué)界小有創(chuàng)獲,常有年輕人來問學(xué)。中學(xué)生向我談起他們的困惑:雖然讀了不少選本,但中考、高考時(shí),面對(duì)一首陌生的詩,往往仍無所措手足。青年學(xué)人以他們的詩學(xué)論文寄我提意見,可惜其常見的通病是由于誤讀文本,而使立論變成空中樓閣。這種情況在我所經(jīng)目的大量來稿與碩博論文中也屢見不鮮。對(duì)于以上種種,我開出的藥方只有簡簡單單的一味:下工夫去讀通,而讀通的首務(wù)是要知道“詩是怎樣寫成的”。
這自然需要掌握一些詩學(xué)的基本知識(shí),對(duì)此,我已在海外版原序中有所提挈,并在解詩時(shí)隨機(jī)而發(fā)作了講析。這里僅想就時(shí)下流行的說法:“讀詩只須憑感覺印象,不必詳究”,再絮叼幾句。這說法也有些來頭,即所謂“以禪喻詩”。南宗禪倡言以心印心,單刀直入,了然頓悟。這通于詩學(xué),便是傳統(tǒng)的點(diǎn)評(píng)。應(yīng)當(dāng)說精到的點(diǎn)評(píng)是讀詩的高境界,然而略知禪理者又都明白,心印、頓悟,本須有歷久的“積學(xué)”為前提。舍積學(xué)而論印心、頓悟,其不墮入“狂禪”惡道者幾希。傳統(tǒng)點(diǎn)評(píng)精到處不少,但狂禪般的癡人說夢更比比皆是。更有甚者,評(píng)者讀不懂某詩,便斥為偽作。我們那位謫仙人李白的不少名篇,比如入選本書的《宣州謝朓樓餞別校書叔云》,就曾遭此厄運(yùn)。以作詩為日課的古人尚且如此,今天的讀者,如一味談感覺印象而無視“積學(xué)”,其效果當(dāng)可想而知。這道理也簡單,老杜說“意匠慘淡經(jīng)營中”,可見,企望以浮躁之心去印合精微的詩心,要不出錯(cuò)也難。也因此,這個(gè)詳解本的目的就在于,希望為本是學(xué)詩初階的《唐詩三百首》,加上一道比較牢靠的扶手,使之能更好地發(fā)揮入門階梯的作用。
對(duì)于大陸版,我還是花了兩個(gè)多月的時(shí)間作了修訂,而其中最花工夫的,恰恰是我最不想做的“語譯”。說不想做,是因?yàn)樵姳静豢勺g,一譯便韻味頓失;又偏偏最花工夫,則是因?yàn)檎Z譯可起到幫助初學(xué)者貫通詩脈的作用,而貫通詩脈又是讀懂的關(guān)鍵:所以也就“知其不可為而為之”,并盡量“為”得好一些,“為”得有點(diǎn)兒韻味。由此建議讀者對(duì)于本書正文外的三部分:注釋、語譯、賞析,也可以先跳過注釋讀語譯;語譯有不明處,再看相應(yīng)的注釋;最后再進(jìn)入我“以心印心”的賞析的閱讀。這樣讀法,也許能更好地達(dá)到三方面預(yù)期的效果:注釋以實(shí)其基,廣其識(shí);語譯以通其脈,順其氣;賞析以博其趣,擷其神。
